独り言を、永遠と

思ったことを流すだけ

排他的生活思想なんちって

人間関係について、きっと世に生きる人々は皆抱えたことのあるであろう話題だけど最近ちょっと考えてたりする。

 

私は浅く小さい人間関係しか築いてこなかった訳だけれど、それですらもなんかややこしいなって思うくらいだから噂に聞く「一回しゃべったらもう友達っしょ!うぇーい!スマホのアド帳パンパンだわまじやべー」的人種には純粋に、すげーマジやべー。って感想しか出てこない。

さすがにここまで自分を世に布教できる人材の数が一般的で過半数をしめてるとは思わないけど。そうじゃないと思っていたいけど。そうだといいなぁ。

 

バイト先でとか、学校でクラスが一緒だったりとか、そんな感じで私もお友達を作ってきたわけですけどね多少はね。

そんな私がずっと願っているのが『お引越し』なんですよね。

全部捨てて違う場所で暮らしたい。そして近所のスーパーとか好きな雑貨屋さんとか通よく行くコンビニの店員さんの名前を覚えてきたら、また引っ越したい。

違う土地で同じことを繰り返しながら生きていきたい、と願っています。

 

もうこれなんなんだろうね??

自分とそれ以外との間に空白が無いと嫌、それが人であれ土地であれ。みたいな。

そんな私がお友達を大切にできるはずもなく、数少ない貴重で希少で希薄な友達との関係がさらに密度をすり減らしているわけです。

まぁ私の頭の悪さが原因で、先方には申し訳ない限りなのですが。

 

そもそも私の排他的生活思想(お引越し願望を仮称)が根付いたのも過去の人間関係が原因なのに、昔と何も変わっていないな~と。人間関係ってホント難しいな~と。

 

結局そんな自分が嫌で逃げたいがために、常にここじゃないどこかに居場所を求めているのかもしれません。

昔と何も変わらないダメなとこだらけの自身を贔屓目に採点して、何かしらの変化を見つけるとしたらこれしかないかと思います。

 

最近になってやっと失敗から学び次に生かす。みたいな着想を得たわけですが、人間関係において何がどういけなかったのか、知っていくためにはやはり人と話すべきでしょうね。しかも深い話になると予想されるため親友と呼べるだけの通じ合った仲の人間がよいでしょう。

 

 

あれ?『親友』って『友達』を親密度でレベルアップさせたものじゃなかったっけ??

私の知る限り親友が売ってあるところ見たことない…。誰かお求めやすい値段で親友売ってるサイトとか知りませんか???

 

結論、今ある友達は大切にしましょうってことですかね。多分。

人付き合いにおいて自分が成長するためには友達が必要とか…。

 

人間関係って難しいですね。

絵を描けなくなった私たちへ

私は幼い時からお絵かきが大好きで、幼少の頃は先生に「いい絵を描くね。あなたの描く絵が好きだから先生にも1枚絵を描いて!」といった事があったとか。

 

小学校高学年になった頃だろうか、『何かが違う。』と思った。

もちろん今になって思えばそんな気がしてたかも、くらいの物だが。

きっと私が1番ではなくなったからだろう。あんなに褒められていたのに、

自分より上手な絵を描く奴がいる。そんな劣等感を感じつつ、それでいてそれをバネに成長するわけでもなく、こそこそと今まで絵を描いてきた。

ここ数年はTwitterで自分の描いたイラストを公開し、RTやファボの数字とにらめっこしたり。

 

 

1か月以上前から、絵を描くのをやめた。

ずっとずっと考えていた。何のために絵を描いているのかと。

評価ばかり気にすることは正しいのか。

劣等感ばかり感じながら描くイラストのどこに楽しさがあるのか。

 

要するに、絵を描くことが苦痛だったのだ。自分の承認欲求に溺れていく様と好きだったはずのものに息苦しさを感じる矛盾。そんな状態でなぜ今まで続けてきたのか不思議で仕方ない。

実は今までも何度かイラストを離れた時期があったのだが、もちろん絵を描く事に微塵も喜びを感じなかったわけでもなく、それを思い出して1か月以内には戻ってきていた。

 

その1か月のボーダーラインをいま、超えている。

正直、自分の好きなようにイラストを描けた時の嬉しさ、楽しさを少し思い出している。でもそれが描けなくなった時の苦しさと絶望を忘れられるはずもなく、ちょっとした寂しさと安心感を胸に抱いて今を過ごしている。

 

 

優柔不断で申し訳ないが、もしかしたらまた絵を描く喜びへの恋しさが溢れてイラストを再開するかもしれない。手を止めたことを後悔する日が来るかもしれない。

 

そんな気持ちを整理するためにブログを書いている。

 

付き合わせてごめんね。

君はチューバという楽器を知っているかい?

ここ数日変化のない生活をしていたのでブログの話題もなかったわけですが、

『お題スロット』というものを見つけまして、やってみたところ 

演奏できる楽器

との結果でした。

 

私は中学、高校と吹奏楽をやっていたので、これなら記事が書けるかなっと…

 

皆さま、『チューバ』という楽器をご存知でしょうか?

楕円状に渦巻いた管と人を呑み込まんばかりの大きさをした低音金管楽器です。

あまりのマイナーさに

 

「なんの楽器弾いてるの?」

「チューバって楽器だよ」

「…?」

 

となる率ナンバーワン!!(当社比)

 

そんなチューバの魅力を今回ご紹介いたします!!

 

 

まずは何といっても『とても重たい』

約10キロもします。基本座って演奏する吹奏楽ですが

演奏会の演出で立ち上がる必要がある時はだいぶキツイです…

なので周りのメンバーや先生から「少し休んでていいよ」と甘やかしてもらえます。

…楽器搬入その他移動は地獄ですが

 

 

次に『楽譜がラク』

ソロパートやメロディラインのある花形楽器と違い、チューバはベースライン。

バッフォン♪ バッフォン♪ ヴォ―――ン♪

の繰り返しで終わる曲もあったりなかったり!?

私は練習・合奏の時はよく寝てました。先生ゴメンナサイ…

 

 

最後に『目立たない』

これですよ、これ。

楽器の配置と構えの関係で、ステージでは常に端っこ。

さらには楽器が大きすぎて観客席がほぼ見えない!!!!

あがり症の私は何度これに助けられたことか!

さらにさらにソロパートもめっったに無くって大助かり~~

 

 

ここまで書いといて生粋のチューバ奏者に怒られそうです…(汗

まあ、とても肺活量が必要でベースとして音楽をまとめる縁の下の力持ち、

といった側面もございます。

 

 

適当に書いてきた記事ではありましたが、チューバについて少しでも興味を持って

いただけたなら、どうか画像検索でチューバの姿を見てもらいたいです。

そして

「なんの楽器弾いてるの?」

「チューバって楽器だよ」

「知ってる!あのおっきなやつだよね!」

とでも返していただけたなら嬉しく思います。

 

 

こんな機会そうそうないと思うけどねー

 

 

お題「演奏できる楽器」

 

 

趣味が無い と言うこと

趣味ってあったら楽しいよね…とは思うけど、私には長続きするような趣味がない。

昔はレジンでアクセサリーを作ったりしてたけど最近はめっきり触らなくなった。

 

へたくそなりのお絵かきは今でも続いてるけど、描くということに喜びを感じられるかと言うと…ムムムッ、黙ってしまうものです。

生来のなまけ癖と打たれ弱さとが相まって、一向に上手にならず、挙句飽きて放り出してしまうのがいけないのでしょうね。

 

私が美術系の学校に通っていたこともあって身の回りにはイラストが得意な子だったりアクセサリーを作ってる子だったりが多いのですが、とっても楽しそうに活動しているわけで、これこそがその子たちが生きる上で重要なエッセンス的なものなんだろうなーっと眺めながら過ごしておりました。

 

 

そんな人たちを見てるとやっぱり、人間としての出来というか、輝きが違うよね。

 

『隣の芝生は青い』といった言葉がございますが、私にしてみればお隣さんには広いお庭があるのに、うちのは辛うじて洗濯物が干せるだけのベランダしかないような感覚です。(つたわる…?)

 

きっとお庭の広さってその人が挑戦してきた物事の数なのかなぁと思います。

挑戦して新しい世界を知ること、そこで得る知識や経験、そんな養分たっぷりの土壌で育つ芝生のなんと鮮やかたるか!!

 

そんな自分よりも大人な隣人たちにあこがれ、新しい挑戦であるブログを始めた次第でございます。

独りで考え事をするのが大好きなので趣味と言えなくもないかな、といった具合ですが

そんなあれこれを文字にできたらと考えています。